大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和34年(ワ)10055号 判決

原告 松木利三郎

被告 内野荘衛

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告の申立および主張

原告訴訟代理人は次のように述べた。

(請求の趣旨)

一、被告は、原告に対して、東京都港区芝公園第五号地一〇番地所在木造瓦葺二階建一棟建坪一七坪三合七勺二階一三坪二合五勺を明渡し、かつ、昭和三四年四月五日から右明渡ずみまで一ケ月金一万円の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決を求める。

(請求の原因)

一、請求の趣旨第一項記載の家屋(以下本件家屋と略称する。)はもと、原告の母訴外松木フクの所有であつたところ、同訴外人は昭和二四年七月三〇日、被告に対して右家屋を、簟笥一棹、五号金庫附属のまま、賃料一ケ月金三千円毎月末日払い、賃貸借期間同日から五年と定めて賃貸した。

その後右訴外松木フクは死亡し、原告が相続して本件家屋の所有者となり、かつ、右賃貸借の賃貸人たる地位を承継した。

二、その後、右賃貸借期間が満了する昭和二九年七月三〇日、原被告間で右賃貸借の期間を昭和三四年七月末日まで賃料一ケ月金五千円と更新した。

なお、右賃料はその後一ケ月金六千円に改訂された。

三、ところで、原告は、右期間満了の六ケ月前一年以内である昭和三三年九月中、直接被告に対し、また、その後も右期間内にしばしば訴外伊藤信一を介して被告に対し、更新拒絶の通知をなした。よつて、昭和三四年七月末日には期間満了により本件賃貸借は終了したものである。

四、仮りに、本件賃貸借が、被告主張のように期間の定めのないものであつて、前記更新拒絶の申入れが、その効力を生じないとしても、原告は、自から本件家屋を使用することを必要とする正当事由があるので、被告に対し、昭和三四年四月四日付書面をもつて、同年七月末日限り本件家屋の明渡をなすべき旨、本件賃貸借の解約の申入れをなし、右書面は同年四月五日被告に到達したから、右到達の日より六ケ月の経過とともに本件賃貸借は終了した。

五、そして、前記更新拒絶または解約申入については、つぎの如き正当な事由がある。

(一) 原告の長男孜夫は、訴外日本放送協会(NHK)に勤務しており、仕事の関係上からも、また身体虚弱な点からも、どうしても東京都内に在住することを要するものであつて、右長男夫妻を居住させるため、ぜひ本件家屋が必要である。

(二) そのうえ、原告一家が現在居住している家屋は、平塚市の都市計画にもとづき、道路新設のため、立退の要求をうけており、これが実現されれば、右家屋全部を収去せられることになり、その場合、原告としては、本件家屋に家族全員が引移る以外、移転先のない状況にある。

(三) しかるに被告は、昭和三四年六月八日申立に係る東京簡易裁判所の調停において、立退料として金九〇万円という法外の金額を要求し、調停をなす意思がなく、原告に対し非協力的利己的態度にでている。

(四) 被告の本件家屋を必要とする事由のうち(1) については、被告の家族構成のみを認める、(2) については権利金として八万円を受け取つたことは認めるが権利金が一〇万円であつたことは否認(4) については、被告が平山堂の支配人であることは認める、

六、仮りに前記解約申入れによる本件賃貸借の終了が認められないとしても、

(一) 原告は、被告に対し、昭和三四年四月四日付書面をもつて本件家屋の賃料を一ケ月金六千円から金一万円に増額請求する旨の意思表示をなし、右書面は同年四月五日頃被告に到達したから、右到達の日をもつて、本件家屋の賃料は一ケ月金一万円に増額された。

(二) しかるに、被告は、その後、同年四、五月の各末日に従来どおりの賃料一ケ月金六千円宛てを支払つたのみで、残金四千円宛て二ケ月分賃料合計八千円の支払をしない。

(三) そこで、原告は、被告に対し同年六月一日付書面をもつて右書面到達の日から三日以内に右不足延滞賃料を支払うよう催告し、同時に、右期間内に履行しないときは、本件賃貸借を解除する旨の意思表示をなし、右書面は同年六月二日被告に到達した。

(四) ところが、被告は、右催告期間を経過しても、右延滞賃料の支払をしないので、本件賃貸借は昭和三四年六月五日の経過とともに解除されたものである。

七、よつて、原告は、被告に対し、所有権に基き本件家屋の明渡と、右賃料の増額された昭和三四年四月五日から明渡ずみまで、一ケ月金一万円の割合による金員(ただし本件賃貸借の終了事由が期間満了であれば、昭和三四年七月三一日まで、解約であれば昭和三四年一〇月五日まで、また解除であれば昭和三四年六月五日まで賃料および右期間満了、解約または解除の翌日以後明渡済までは賃料相当の損害金)の支払を求める。

(抗弁に対する答弁)

一、抗弁一の事実中本件家屋が、昭和二五年七月一一日以前の建築になるものであること、並びに、被告が事業用に使用しているものでないことは認めるが、その余は否認する。

本件家屋の延べ坪数は母屋に附属する物置を加えれば、前記原告主張のとおり三〇坪六合二勺であつて、被告主張の三〇坪ではない。また敷地は二七坪である。したがつて、本件家屋には、地代家賃統制令は適用されない。

二、抗弁二の事実中被告主張のように賃料が順次増額されたことは認めるが、その余は否認する。

被告は、昭和二四年七月三〇日の契約にもとづく一ケ月金三千円の賃料が、昭和三二年八月二九日まで数回にわたつて増額され金六千円となつたことを、いかにも原告が悪質強引に値上げしたごとく主張するが、その間、八年間におけるわが国物価の値上りに比較すれば、まことに当然のことで、むしろ甚だ安きに失するぐらいである。金一万円の賃料増額請求に対し、被告は、一挙に約六割の値上げは不当であり権利の濫用であると主張するが、物価の昂騰、公租公課の値上り、四隣の状況等から考えると右増額も相当賃料よりはるかに下廻るもので、決して権利の濫用ではない。

三、抗弁三の事実中被告から原告に宛て、昭和三四年六月から昭和三五年二月まで賃料金六千円を郵送するという趣旨の書翰が毎月郵送され、原告の許に到達したことおよび、被告主張の期間毎月六千円の金員を受領したことは認めるが、その余は否認する。

原告は、前記契約解除の各通告にもかかわらず被告から毎月金六千円宛てを送金してくるので、これを解除後本件家屋使用の損害金を送付してくるものと解し、ことさらこれを返還するまでもないとして受領しているもので、被告主張(一)(二)(三)のごとく、終了、解除等の効果を抛棄し、賃料として受領しているものではない。

第二、被告の申立および主張、

被告訴訟代理人は次のとおり述べた。

(請求の趣旨に対する答弁)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

(請求原因に対する答弁)

一、請求原因一の事実中賃借家屋の坪数および賃貸借期間の点を否認し、その余は認める。

被告が賃借した本件家屋の坪数は建坪一五坪二階一五坪未満で延坪数は三〇坪に満たないものである。

また、原告主張の期間五年というのは、いわゆる賃料据置期間の意味であつて、賃貸借の存続期間を定めたものではない。

本件賃貸借は、期間の定めがないものであつた。

二、請求原因二の事実は否認する。

昭和二九年七月三〇日、被告が右に主張した賃料据置期間が一応経過したので新たに五年間の賃料据置期間を協定し、賃料を一ケ月金四千円に増額したものである。なお六千円に改訂されたことは認める。

三、請求原因三の事実は否認する。

四、請求原因四の事実中原告主張の日時、その主張のような書面が被告に到達したことは認めるが、その余は争う。

五、更新拒絶または解約申入をなすについて正当事由がない。すなわち、

(一)、原告が正当事由として請求原因五において主張するものについては、

(1)  (一)の事実中原告の長男夫妻の家屋の事情については不知仮りに、原告長男が病弱としても本件家屋は湿気が多く、陽当りが極めて悪く、病人看護上不適格ということができる。通勤に便なる住居を求めるのは当然ではあるが、これは、適法に賃借している被告の賃貸借を解約する「正当事由」の決定的要因にはなりえない。

(2)  (二)の事実は否認する。

原告主張の都市計画による道路新設工事は、各戸よりその所有土地の三割に相当する分を収用して行われるものであるが、原告は現に家屋建坪六八・五二坪物置建坪九坪をもつ土地約二百坪を所有しており、この土地三割分を収用されるのみで、住宅の撤去はもちろん、その部分的移動をする必要すらないのである。加えて、土地収用には相当の補償がなされるのであつて、これがため原告が住居を失うに至ることは全くありえないことである。

(3)  (三)の事実中東京簡易裁判所において前後七回にわたり調停期日が開かれたことは認めるが、その余は否認する。

(二)、以上のようなわけで原告には更新拒絶・解約申入の正当事由がなく、かえつて被告には次のような本件家屋を必要とする正当事由がある。すなわち、

(1)  被告に代替家屋並びに土地がないこと。原告が資産家であり、相当の宅地並びに借家をもつているのに反し、被告は、代替家屋並びに土地を全く所有していない。

従つて、万一、本件家屋から立退くことになれば、被告夫婦と長女(中学二年)、長男(小学校五年)、老母の五人は、直ちに路頭に迷う結果となる。

(2)  被告が莫大な権利金を原告に支払つていること。被告は、本件賃貸借締結当時の昭和二四年七月三〇日、金一〇万円の権利金を支払つた。当時の貨幣価値からすれば相当の金額であつた。被告は、右権利金を工面するため、当時、被告が東京都内早稲田に所有していた宅地一四〇坪を六万円にて処分し、権利金の一部にあてて、本件家屋に居住するにいたつたのである。

(3)  被告は自己の家屋に対すると同様の愛着をもつて、本件家屋の修理維持を行つてきたこと。

被告は、賃借当時から、本件家屋の八畳の床を二回、茶の間の床を一回、大修理を行い、また家屋の樋および風呂場のセメント修理工事を行つてきており、本件家屋には相当の修理費用をつぎ込んでいる。

(4)  被告が(2) 記載のとおり莫大な権利金と、当時としては法外な高い家賃一ケ月金三千円を支払つたことは、被告の勤務場所に地理的に非常に便利なるためであつたこと。

被告は、平山堂と称する美術商店の支配人をしており、右店舗並びに美術クラブが居住家屋のすぐ近所にあり、勤務時間が極めて不規則な被告の仕事からして、通勤場所並に美術クラブに住居が近いことが第一要件である。

(5)  以上、原被告双方の正当事由ないし、必要性とを比較衡量すると、原告の主張する更新拒絶の意思表示または解約の意思表示は、これをなすについて、いわゆる「正当事由」がないから無効である。

六、請求原因六の事実のうち(一)の事実については、原告主張の日時にその主張のような書面が到達したことは認めるが、その余は否認する。同(二)、(三)の各事実は認める。同(四)の事実は原告主張の賃料増額の差額部分の支払をしないことを認め、その余は争う。

(抗弁)

一、本件家屋は、地代家賃統制令の適用される建物である。すなわち、本件家屋は、昭和二五年七月一一日以前の建築にかかるものであり、建坪延べ面積は三〇坪以下で、事業用に使用しているものではなく、その敷地は二四・七五坪である。したがつて、原告が主張する一ケ月金一万円の賃料増額請求は、統制額をはるかに上まわる不法なものであつて、法律上無効である。ただし、本件家屋に附属する物置の床面積をも加えると三〇坪を越えることは認めるが、物置は同令の適用上は床面積に算入すべきでない。

二、仮りに、本件家屋が右統制令適用の除外される建物であるとしても、被告は、原告の要求どおり、従来の一ケ月金三千円の賃料を、昭和二九年八月一日、一ケ月金四千円と増額協定し、さらに昭和三〇年一月、金千円の値上を強要されて一ケ月金五千円と協定し、また、昭和三二年八月二九日、さらに金千円の値上を強要され、原告の要求どおり同年四月分に遡及して、爾後賃料一ケ月金六千円となつたものである。

かような経緯にもかかわらず原告が、昭和三四年四月四日にいたり、突然、従来の賃料の約六割に相当する金四千円もの高額な値上の請求をなすこと自体権利の濫用であり、到底許さるべきではない。

三、被告は、原告の本訴提起前はもちろん、本訴提起後も原告の主張する(1) 賃貸借期間終了、(2) 解約、(3) 契約解除は、いづれも無効であり、したがつて、本件賃貸借は現に存続しているとの主張のもとに、昭和三四年六月分から、昭和三五年二月分まで賃料金六千円宛て毎月原告に対し、賃料として送付支払つてきており、原告は右各金員を異議なく受領している。

被告は、損害金として受領した旨主張するけれども、被告は、いづれも判然と「賃料」として送付していたのであつて、原告は、これにつき何ら異議を述べることなく受領してきた以上、後日になつて、一方的に「損害金」として受領したと主張することは許されない。

したがつて、

(一) 仮りに、原告の賃貸借期間の満了による賃貸借終了の主張が認められるとしても、原告は、賃貸借終了後七ケ月間にわたり、毎月、被告から従前どおり賃料を受領し、被告が本件家屋の使用を継続するにつき遅延なく議異を述べなかつたのであるから、借家法第二条第二項の規定から、本件賃貸借と同一の条件をもつて法定更新されたものである。

(二) 仮りに、原告の解約申入による賃貸借終了の主張が認められるとしても、被告が右終了後約五ケ月間に亘り賃料を受領し、被告が本件家屋の使用を継続するにつき遅滞なく異議を述べなかつたのであるから、借家法第三条第二項第二条第二項により、本件賃貸借は同一の条件をもつて法定更新されたものである。

(三) また仮りに、原告の賃貸借解除の主張が認められるとしても解除後約八ケ月間にわたり異議なく賃料を受領していた事実により、原告は契約解除の効果を自から放棄し、右賃貸借解除の日もしくは期間終了の日から同一条件をもつて本件賃貸借を更新するにつき暗黙の同意を与えたものというべきである。

よつて、いづれの点よりするも、原告の本訴請求は失当である。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

一、本件家屋はもと原告の母松木フクの所有であつたところ、被告は昭和二四年七月三〇日同女から賃料一ケ月金三、〇〇〇円毎月末日払の約束で、たんす一棹、金庫一個附属のままこれを賃借したこと、その後原告が相続により本件家屋の所有者となつたことは当事者間に争いのない事実である。而して、成立に争いない甲第一号証の一、証人内野八栄、同松本春子の各証言および原告本人尋問の結果によれば右賃貸借契約は期間五年の約束であつたことが認められる。被告は右五年の期間は賃料の据置期間として定めたものであると主張するが、前掲各供述によれば、右期間内に賃料は一ケ月金四、〇〇〇円に増額されて居り、右賃貸借契約締結当時の社会的経済的な諸事情とくに土地・建物の価格の騰貴傾向と「五年」という期間の長さを考慮すれば、右の期間は文字通り賃貸借の期間を定めたものと認めるのが相当であり、これに反する証拠はない。

二、成立に争いない甲第一号証の二、第二号証、証人内野八栄、同松木春子の各証言および原告本人尋問の結果によれば、前記賃貸借期間の満了する昭和二九年七月三〇日、原被告間で、本件家屋の賃貸借期間を昭和三四年七月末日まで向う五年間、賃料一ケ月金五、〇〇〇円として前記賃貸借契約を更新したこと、その後原告は、右更新された賃貸借の期間が満了する六ケ月前、一年以内の間に、伊藤信一を介して被告に対し、右賃貸借契約の更新を拒絶する旨の通知をなしたことがそれぞれ認められる。これに反する証拠はない。

三、そこで原告の右更新拒絶に要すべき正当事由の存否について判断する。

(一)、証人松木春子、同松木孜夫の各証言、原告本人尋問の結果ならびに上掲松木孜夫の証言により真正に成立したと認める甲第五六号証によれば、原告とその長男である松木孜夫は当時神奈川県平塚市平塚三、五七一番地に居住し、いずれも東京へ通勤するため往復に相当の時間を費していたこと、そのうち孜夫は、日本放送協会の職員で経理関係の事務を担当しているため、勤務時間が不規則で残業時間が多く放送債券を発行する月やその利払期にはとくに忙しく、帰宅が午後一一時から一二時に及ぶような夜が一週間余にわたる場合もあつたこと、加えて同人は胃下垂および慢性胃炎を患つて居り、生来頑健な性質ではないこと、また原告等の居住する平塚の家屋(原告本人尋問の結果により神奈川県復興事業所作成の部分について真正に成立したと認める甲第一一号証によれば同家屋は原告の所有に係り木造二階建瓦葺延坪六九、四四坪であることが認められる。)は区画整理事業施行地域に位置し、同建物の敷地約二〇〇坪中を巾員一八メートルの道路が貫通する計画で、同家屋の移転を求められていることがそれぞれ認められる。

しかしながら、証人松木孜夫の証言によつても、同人の昭和三五年一ケ年間の病気欠勤日数は合計二週間程度で、それが有給休暇とふりかえられていること、欠勤の理由は感冒や消化器系統の病気であつて普通の健康体では或る程度免れ得ない病気であることが認められる。また区画整理の点については、証人松木春子の証言、原告本人尋問の結果(ただしいずれもその一部)ならびに成立に争いない甲第八、一〇号証および前掲甲第一一号証によれば、原告は前記平塚市内に延六九・四四坪の家屋ならびにその敷地約二〇〇坪を所有しているところ、本件賃貸借期間満了の日である昭和三四年七月末日は勿論、それから二年余を経過した本件第一一回口頭弁論期日の昭和三六年一〇月三一日に至るも未だ仮換地の指定すらなされた形跡がないこと、前記区画整理の計画によつても旧敷地の三割が道路用地とされるのみで七割は依然として原告の手許に残されることになつているので、換地の形状如何によるものの、区画整理の結果右家屋の敷地が全面的に消失し、原告が居住家屋を失うということはとうてい考えられないこと、しかも原告は昭和三六年八月頃にも神奈川県平塚復興事業所から提示された家屋移転承諾書に捺印することを拒んでいることが認められる。証人松木春子の証言および原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信せず、他にこれに反する証拠はない。むしろ原告本人尋問の結果により明らかなように、原告は長年居住してきた平塚の前記家屋に飽きてきたので、これを売却したうえで通勤に至便な本件家屋に居住したいというのが実情であつて、区画整理云々は必ずしも決定的な理由ではないものと推認される。

(二)、他方被告が本件家屋を必要とする事情をみるに、証人内野八栄の証言によれば、被告が本件家屋を賃借するに至つた最大の理由は、被告が平山堂という美術骨董商の支配人として(この点は当事者間に争いがない)骨董商の集りである美術クラブに頻繁に出入しなければならないところ本件家屋は同クラブから徒歩約二〇分という恵まれた場所にあつたことによるもので、被告は昭和二四年当時本件家屋を賃借するために要する権利金八〇、〇〇〇円その他移転費を調達するため、早稲田にあつた約四〇坪の所有地と五反田の約五〇坪の借地権を売却し、これによつて右権利金を原告の母フクに交付していること(当時八〇、〇〇〇円の授受があつたことは当事者間に争いがない)、被告は家族五人と共に本件家屋に居住しているところ、他に住むべき家屋を有せず、本件家屋を立退くときはたちまち生活の場所を失うことがそれぞれ認められる。右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)、以上(一)(二)において認定した原被告双方の事情を対比して判断するに、原告には未だ本件賃貸借契約の更新を拒絶し得る正当の事由があつたとは認め難い。けだし原告の長男にとつては平塚から通勤するよりも本件家屋の明渡を得て同所から通勤することが望ましいことには違いないが、前示認定の程度の健康上の理由によるときは、未だ被告とその家族に本件家屋の明渡を要求できるほど差し迫つたものとは認め難く、これのみでは原告の正当事由としては不充分というべきであり、前掲甲第五号証(診断書)も右の結論を左右するものではない。而して原告等の居住中の土地家屋が区画整理によつて全面的に消滅するものでないことは前示のとおりであつて、むしろ同家屋の敷地としてなお約一四〇坪が原告の手許に残されるところであるから、主として原告の長男の通勤に便利であるという理由をもつてしては、昭和二四年当時金八〇、〇〇〇円の権利金を投じ、とくにその場所的価値のゆえに本件家屋を賃借するに至つた被告とその家族に対し、明渡を要求することを正当ずけることはできないものというべきである。なお被告が明渡の調停に非協力的であるといつても前示認定のような事情の下にあつては、この一事をもつて直ちに原告の更新拒絶を正当化するものではないこと言をまたないし、原告自身の通勤の便利は被告に昭和二四年に本件家屋を賃貸したときから原告において予想し得べきところであつたわけであるから、原告の長男の就職及び健康上の問題が新に生じたとはいえこれらの事由をもつてしては本件の更新拒絶に正当事由ありと認めることはできない。以上説示のほか他に原告に正当事由の存することを推認せしむべき証拠はない。

四、ついで被告の賃料不払を理由とする賃貸借契約解除の主張について判断する。

(一)  昭和三四年三月まで本件家屋の賃料は一ケ月金六、〇〇〇円であつたところ、原告は同年四月五日到達の書面で被告に対し、同日以降賃料を一ケ月金一〇、〇〇〇円に増額する旨の意思表示をなしたこと、これに対し被告は同年四月および五月の各末日に従前どおりの賃料である金六、〇〇〇円を各支払つたこと、そこで原告は同年六月二日到達の書面で被告に対し、同日から三日以内に右四月分および五月分の各不足額の合計である金八、〇〇〇円を支払わないときは本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなしたことはいずれも当事者間に争いがない事実である。

(二)  そこで右増額請求の当否について考えるに、本件家屋が昭和二五年七月一一日以前の建築にかかることは当事者間に争いがなく、住居の用に供されているものであることは当事者双方の主張自体から明らかである。被告は本件家屋の延坪は三〇坪以下であるから地代家賃統制令の適用があると主張し、原告は延坪三〇坪六合二勺であり、右延坪には面積〇、五八八坪の物置も含まれるべきであると主張するので先ずこの点について判断すると、成立に争いない甲第九号証、証人松木春子の証言、原告本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したと認める甲第一三号証、証人内野八栄の証言(ただしその一部)およびこれにより真正に成立したと認める乙第四号証によれば、本件家屋の二階は一三、二五坪、同一階は物置を除いた部分が一六、五八坪(以上合計二九、八三坪)あること、そして一階の玄関右脇に右母屋(建物本体と呼ぶ)に接着して間口一・四間奥行〇、四二間(面積〇、五八八坪)の物置があること、(なおこの物置と並んでさらに〇、一二坪の物置があるけれども、この方は雨宮ゆうの所有であつて、土台もなく仮小屋程度の物置であり、原告主張の延坪には算入されていない。)右物置は原告の所有であり、本件家屋の建築後約二年を経て玄関の右外壁を利用し、これに一、四間の幅で接着して作られたもので、屋根は建物本体(母屋)の瓦葺屋根の下、いわゆる下屋に、トタン板を差し掛けて葺いたもので、土台および柱を有するけれども、土台は建物本体のそれとは独立した別個のものであること、物置への出入は外部に面する一、四間の間口に設けられた二枚の引違い戸によつてなされ、建物本体とは玄関の壁を隔てているため完全に遮断されていること、その用途はいわゆる物置として以外に考えられないことがそれぞれ認められる。証人内野八栄、同松木春子の各証言のうち右認定に反する部分はいずれも採用せず他に右認定に反する証拠はない。

右認定したような構造の物置は、地代家賃統制令第二三条第二項第三号の適用の関係では、その床面積を借家の「延べ面積」に算入すべきでないと解するのが相当である。けだし右規定は建物が住居の用に供されるものである場合には、建物居住者が起臥寝食の用に直接供する部分の延べ面積が三〇坪を越える家屋を賃借し得るような経済的な余裕のある者には、もはや同令による借家人の保護を与える必要がないとの見解の下に、当該面積の広狭によつてその適用の有無を分つたものであるから、同令にいう「延べ面積」には、本件物置のように、直接起臥寝食の用に供される建物本体の構成部分となつておらず、間接に居住者の生活の便益に供されるような附属構造物はこれを除外しているものとみるべきであり、これに反し、本件物置のごとき構造物をも「延べ面積」に算入するときは、斯る物置の広狭によつて同令適用の有無が左右されるのを容認することとなり、その結果は同令の趣旨に照らしてきわめて妥当性を欠くことになるからである。(ただし、事業用建物とこれに附属する倉庫の関係は自ら別個の問題であること勿論である。)したがつて本件家屋は被告の主張するように地代家賃統制令の適用を受けるものと解すべきである。

(三)  そこで本件家屋の公定賃料について検討するに、本件訴訟資料中の固定資産課税台帳登録証明書によれば、本件家屋の昭和三四年度評価価格は金一九七、二〇〇円(ただし床面積一六、二五七坪として)であり、これに基けば純家賃額は二、〇五四円七二銭また同家屋の敷地は原告の主張によつても二七坪を越えるものでないから、成立に争いない乙第五号証によつて明らかな同土地の昭和三六年度評価価格五六二、八五〇円(ただし四四坪として)から推定すれば、昭和三四年度における右敷地部分の公定地代相当額は金一、六三六円一五銭を越えるものとは認められないから、その合計額である本件家屋の公定賃料は、一ケ月金六、〇〇〇円を越えないことは明らかである。したがつて、原告の前示賃料増額請求は地代家賃統制令に違反し全く効力を生じないものというべきであり右増額請求を前提とする原告の賃貸借契約の解除はその前提を欠き失当である。

五、以上説示してきたところにより明らかなように、原被告間にはなお賃貸借契約が存在しているものであり、被告はこれに基き適法に本件家屋を占有して居るものであるし、本件家屋の賃料は依然として一ケ月金六、〇〇〇円を越えるものではないこと前述のとおりであつて、被告が昭和三四年四月以降昭和三五年二月末日までの約定賃料として毎月金六、〇〇〇円を原告に支払つてきたことは当事者間に争いがない事実であるから原告の賃料請求もまた失当たるを免れない。よつてその余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求はいずれも理由がないから失当でありこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 野口喜蔵 山本和敏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例